十三の第七藝術劇場で、『拳と祈り』-袴田巌の人生- を観ました。
拳と祈り'24-10
上映後の袴田秀子さんと笠井千晶監督の舞台挨拶に、感動しました。
事件の経緯は、報道などを通じて、ある程度は知っているつもりでしたが、ほとんど知らないのと同然だったと解りました。

一家4人が犠牲になった大変な事件で、素人には整理し切れないため、公式サイト(予告編も含む)と、動画をいくつか読み込みます。長い動画もありますが、できるだけ多くの方にご覧いただきたいです。

それにしても、元の事件は1966年(58年前)に起きた事で、相当に昔の事件です。
冤罪は晴れたが、真犯人が捕まっていないという、謎の悲劇となっています。
しかも検察側が証拠の誤認や、誤解で袴田さんに結びつけたのではなく、証拠を捏造したと考えられるという、超あってはならないこと。
最終的に、検察は、それ(捏造)は認めていないが、袴田さんへの長期間の拘束という苦痛を考えて、控訴しない判断をしたと言う。何だか検察はいまだに彼の犯行だと考えているが、特赦とすることにしたという感じです。ただ法務大臣と静岡警察署長が、誠意を持って謝罪の言葉を述べられたのは救いだった。

【事件と56年間の裁判の経緯】
◆日本弁護士連合会の『袴田事件』ページ


無罪確定に至るまで56年かかり、何とも長すぎた。映画には、もちろん事件の主要ポイントと、一審の死刑判決を書いて、深く後悔されていた元判事のとの面会、ほぼ同時期に米国で、同じようにボクサーの関わる冤罪事件があったことなどの、貴重なシーンが含まれています。

ただ袴田さんが、釈放されてからの日常の描写が長いので、ふとこれはなぜだろうと思ったりしましたが、おそらく無罪判決までの時間の長さを表現するためかと思います。

とても印象的なのは、お姉さまの秀子さんの全く率直で朗らかなお人柄と、「巌だけが助かったら良いと言う訳ではない」(冤罪は多い)という言葉。また悲しいのは、初期の頃は明晰な手紙を書いておられた巌さんが、死刑囚として収監されている間に、妄想が入り混じってしまう状態になっておられることです(拘禁症状というらしい)。

救いは弁護団の粘りと、死刑判決を書いた一審の判事が、それを後悔し続けておられて(この方は当時他になす術がなかった)、後に職を辞し、守秘義務違反となっても真実を明かされた事です。そして人生の大部分を袴田事件に割いて、記録してくださっている笠井千晶監督のおられることも、巡り合わせの不思議を感じます。

【公式サイト:予告編含む】


なぜ、58年もの時間がかかったのか 司法に翻弄され続けた袴田巖さん 事件と裁判の経緯
【袴田事件再審公判・結審】
大まかな流れがわかる動画(静岡放送)
*下の画像は、時系列が一番解りやすい場面で、動画とはリンクしていません。
 動画へ→ https://youtu.be/fvaBzAXxJU0?si=ieqHw0X0ZftQuhDA
静岡放送'24-1108

【参考1】一審の死刑判決を、不本意ながら、合議制のため書かざるを得なかった、元裁判官の苦しみも深く、裁判官を辞めて弁護士になってからもずっと苦しんおられた。

◇2024年10月の動画 約5分

【参考2】25年前の取材記録:これは長いため2としましたが、必見だと思う。

◇2024年10月の動画 約50分

◆今までで初めて、パンフレットにサインを頂きました。

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【第七藝術劇場】
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第七藝術劇場公式サイト

大阪市淀川区十三本町1丁目7−27 サンポードシティー 6F
電話番号: 06-6302-2073
[地図]



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